cassiniの過去&不登校だった私が大人になって思うこと

2017年10月20日

Cassini(@cassini0720です。

今までドイツの生活やフリーランス情報、日常で感じたことをブログにしてきましたが、今回は私のことについて書いてみようと思います。

内容としてはかなり重め&長文になるので、苦手な方はスルーしていただいて構いません。

幼少期

1985年生まれの32歳。長崎県出身。4人きょうだいの次女。

幼少期から思い込みの激しさと頑固さと独立心はだけは群を抜いており、親の言う事は全く聞かない子供でした。親が言っていることすべてが正しくないとその時からはっきりと思っていたからです。これは、大人になった現在でも変わりません。

両親ともにカトリック系の家系だったため、カトリック系の幼稚園へ通うものの、希望していないのにもかかわらず周りの大人たちに自分の人生を決められることに強い違和感を持ちます。

また、2つ下の弟への両親の溺愛ぶりが気に入らず、物心ついた頃に母から言われた「2番目が女でがっかりした」という言葉をきっかけに『女として生まれたこと、また生まれてしまったこと自体』に後悔を抱くように。

男尊女卑の激しい家庭に育ったこともあり、この頃から「もうどうでもいいや、誰も私のことなんか期待してないし」という諦観の念を身につけてしまう。

土日は教会へ行く日と決まっており、ミサへ行かなければいけないことが憂鬱でした。

小学校時代からすでに不登校

小学校の頃はあまり特別な記憶がなく、全く楽しくなかった。同級生に全く興味が持てませんでした。

やたらと「AとBどっちが好き?」(AとBは芸能人とか、テレビ番組とか他愛もないもの)という質問を延々としてくる近所に住んでいる女の子に「どっちでもいい」と答えるような無気力な小学生でした。学校の授業も全く面白いと思わなかったので、なぜ学校に行かなきゃいけないのかわかりませんでした。

私自身は全く面白くないのに、なぜか友達らしき子はいました。しかも私が一人で帰りたいのに向こうから粘着してくるような感じ。今考えても不思議でしょうがない。

小学校の時から学校が嫌いで、小学校1年生の時から不登校を繰り返していました。

とはいっても、全期間ではなく週に2,3日だけ行くといったスタイル。両親も私には手を焼いており、よくこのことで打たれたり暴言を吐かれたり人格否定をされたりしました。

「ダメ人間」「クズ」「死ねば?」は日常的に言われてました。

学校の先生も嫌いで、休みを繰り返す私に対し嫌味を吐くような人ばかり。さらに私の学校嫌いは加速していき、とうとう小学校5~6年生のころにはほとんど行かなくなりました。クラスから寄せ書きをもらったものの、「皆んな綺麗ごとばっか書きやがって」と全部ゴミ箱へ捨てるほどの厭世的な子供でした。

「こんなつまらないことをずっと続けなきゃいけないのか?こんなつまんないことだらけの延長線が人生ってやつなのか?」と考えたら、もう私はすぐに死んでしまいたいと思っていました。

親・学校含め誰も信用できる人間がいなかったので、この時に首吊り自殺を図ります。

しかし母がいつもと違う時間に帰宅したため失敗に終わります。ちなみにこの時は母に気付かれず、「また学校へ行っていなかった」とただ殴られただけでした。

相変わらずの中学生時代

1年の時は頑張って行っていましたが、2年くらいからはポツポツと行かなくなりました。

小学生時代と同じで、学校が面白くなかったから。授業はあまり出ずともテストだけ受けて、成績は何故かそれほど悪くなかった(数学以外は)。中学3年生の時に、いい先生と出会って少し前向きになれたような気がします。

「お前は頑張ればもっと上に行けるのになんでやらないんだ」とか励ましてもらっていたような気がする。

この頃に教会で洗礼の儀式があり、それを経て正式にカトリック教徒になるのですが、私は無神論者なので全く宗教に興味がありませんでした。

しかし当日になって親から行けとしつこく言われ、私は行かないの押し問答になり、結果教会のシスター(仏教でいう尼)が迎えに来て無理やり車に押し込まれるという経験をしてから本格的に”宗教”というものが嫌いになります。学校と同じで、ただ私の自由を奪うための障害物でしかなかったからです。

「学校の授業で『信教の自由』があるって習ったよな?」とぐるぐる頭によぎりますが私には何もなす術がありませんでした。

とにかくこの世のすべての物事が不自由で暴力に満ちている感じがしてさらに私の厭世観を強めます。その後教会には全く寄り付かなくなりました。

 

学校へ行っていない時間はずっと図書館から借りた本を読んでいました。親に本の虫と言われるくらい、食事の時以外はずっと読書。それか絵を描いていました。この時は将来アート系の仕事がしたいなと思ってました。

中学時代に姉が精神的な病気になり、家の中は家族崩壊くらいの重い空気になりました。

両親は離婚するしないの喧嘩が絶えず、姉もその時に自分のせいで家庭がおかしくなったことは自覚していたのである時「お父さんとお母さん、離婚するって…」と泣きながら私に訴えかけてきました。その時私は「そんなん本人たちの問題だしどうでもいい。私には関係ない。」と答えた記憶があります。結局両親は今も離婚しておらず危機は脱したようですが…。

私は家族というものが単に人の人生を蝕むものという考えだったので、どうなろうと本当にどうでもよかったのです。

とにかく、早く家を出て行きたかった。出て行くためには自分で生計を立てれるようにならないといけない。そのためには少なくとも高校を出ていた方がいいと思い、中堅の公立の進学校へ行くことを決めて結果合格。

暗黒の高校生時代

最初だけはちゃんと行っていましたが、それまでろくに人間関係も築けない人間だったので高校でもうまくいきませんでした。

この頃には自宅が「自分の帰るところじゃない」と思え、学校から帰ってもまっすぐ帰ることはなく親の会社の事務所で音楽を聴いたり本を読んだりして時間を過ごしていました。

この頃ハマっていたのがNirvanaとかFoo Fightersとかのオルタナ・ロックやLed ZeppelinやPink Floyd, the Dorrs, Aerosmithとかのロックを始めいろんなジャンルの音楽を大爆音で聴いてました。昔から洋楽は好きでよく聴いてましたが、英語の勉強する楽しさを知ったのは好きなものをより深く理解したいという気持ちからでした。

気がすむと夜に家まで続く街灯すらない坂道を登っていく。家の前まで来ても帰りたいと思わない。どこかへ行けるなら行ってしまいたい。この土地も家族もどうだっていい。

いつもそう思っていました。でも、田舎すぎて仕事もできなかったし、本当に牢獄のよう。

1年が終わる頃くらいに学校で転校に必要な書類を集め、その足で転校先である通信制の高校へ転学手続きを自分でやりました。昔から学校へ出す書類関係は小学校の頃からほとんど自分で記入して提出していたので、なんということはなかった。

高校時代にパニック障害の症状が出ましたが、親から病院に連れて行ってもらえなかったのでパニック障害「らしき」ものでした。時々来るパニック発作をなんとか自分でなだめながら、常に動悸とイライラ感、気が狂いそうになる恐怖感と闘っていました。最初のパニック発作で頭にもやがかかった感覚を覚え、これは今でも取れていませんが(表現するのは難しいが、頭の中が常にクリアではない)、これが普通になりました。

この時役立ったのが森田療法や精神分析などの本でした。中学生の頃から図書館で精神病と呼ばれているものの分野に興味があったのでよく読んでおり、この時は本を読んで自分で調べて効く方法を試すということをしていました。

パニック障害らしきものはしばらく続きましたが、その後の忙しさとともに気にならない程度にまでなりました。

親はいつでも自分を助けてくれないものという意識があったので、幼少時からですが最初からあてにしてませんでした。

 

活動的になったフリーター時代

高校を卒業後、特にやることもなかった私はバイトを始めました。いわゆるフリーター。

車の免許は18歳になったと同時くらいに取りました。田舎は車がないと何もできないので、親が車を買い与えてくれました(車がないと仕事にもつけないので)。もちろん費用は全て親持ち。

最初のバイトは、パチンコ屋のカフェスタッフ。

その辺では割といい給与だったからという理由だけで始めました。パチンコは全くやったこともないし興味もなかったけれども、コミュ障なのに接客業を選んだのは、少なからず自分を変えたいという願望があったのかもしれません。

カフェスタッフはパチンコ屋に来る客にドリンクを売るというシンプルな仕事。杯数が上がるほど+インセンティブが入るというしくみ。

基本的にずっと歩きっぱなしで売っているのでかなりの運動量。それに、入ってみてわかったのですが見た目も重要な花形的位置づけでした。どうりで美人なお姉さんが多いわけだ…。

カフェスタッフは店舗スペースを借りているというかたちで、一つの会社がやっていました。その会社で出会ったお姉さんたちにすごく良くしてもらって、この時がそれまでの人生のなかで楽しいと思った瞬間かもしれない。

仕事が終わったら一緒に遊んだり、ドライブしたり、ファミレスでずっと喋ってたり。なんでもないことのようだけど、当時牢獄にいるかのような生活を送っていた私からすればシャバに出たくらいの生活の変わりようでした。だんだん帰宅時間も深夜から明け方になります。

大人になったら大変と言われ続けてきたものの、私のそれまでが不自由すぎたので一気に弾けた感じ。

それまでが私にとって地獄すぎた。

早く一人暮らしをしたくて、大学に行くことにしました。それまでに第1志望の大学に落ちましたが、翌年、公立の大学を受けたところ合格したので、念願の一人暮らしをすることに。

住むところや入学手続きやらの書類を片付け終わり、一人暮らしの何もない部屋にぼんやりと座って「やっと一人になれた」と静かに一人で感激していました。

落ち着いた大学生生活

それからは家族で暮らしていた時と比べるとイージーモードでした。

ドイツの大学に編入を狙っていましたが、入学早々に募集停止をしていた事実を知り、それからは卒業をするためだけに単位ギリギリで卒業するという目標だけ。

大学生活は私にとって簡単すぎて、家族という障害物が無くなった分快適でした。全く実家に寄り付かなくなり、バイトと学校に明け暮れる毎日。実家にいるときから料理や掃除といった家事はやらされていたので、身の回りのことも全く問題なくこなしてました。

大学では外国語学部だったので、毎日のように英語の授業がありましたが、ほとんど受動的に授業を受けるだけのスタイルだったので全く身についてないような気がします…。

第二外国語でドイツ語の授業を受けていたので、それだけは楽しかった。上品かつ知的な50代くらいの女性が教えていたのですが、私のなかで強烈なインパクトをもたらした方でした。細身だけど決して貧相ではなく、派手でもないけれども服の着こなしがすごく上品。海外生活が長いようで、そのクールな立ち居振舞いに、将来こんな人になりたいなとぼんやり思ったのを覚えています。

私が入ったのは夜間部で、年上の人もたくさんいるだろうと思ったものの、いるのは私より年下のクラスメイトばかりで話が全く合わない。みんなキラッキラしてる女子ばかりでした。いつもグループ行動してきゃっきゃ言ってる部類で、私が鳥肌たつくらい嫌いなグループでした。というわけなので、大学時代の友人は男の子1人しかいません。

就活は見事にダメでした。

私は留年することなくストレートに卒業できる予定でしたが、21歳で入学したため卒業時は25歳。

自分をアピールすることが全然できなかったので、エントリーシートはなんとか通るものの、面接は全滅でした。就活独特の面接官と他の就活生との”真面目ちゃん応答”も気持ち悪すぎて全くできませんでした。

グループワークをしても「お前聖人かなんかか」くらいの虚飾がかった他の就活生を見るだけで『馬鹿みたい』と思うだけ。私には到底できない茶番でした。

ちょうど就職氷河期なのもあり、どこも通りませんでした。ゼミの助教授から「院に行けば?」と勧められるも、文系で大学院まで行って、院を卒業したとして仕事がある確証が何もなかったので、そのまま卒業。

過去を振り返って

 

それからは社会人となって会社を転々としつつも約5年働いたわけですが、まぁ紆余曲折ばかりの人生です。

学生時代のほとんどを不登校で将来どうなるかと悲観したものの、なんとか生きているし、今は自分の好きなことを仕事に出来ているわけなので一番楽しいかもしれません。

今不登校で悩んでいる学生さんがいるとしたら、元不登校だった私のアドバイスが役に立つかわかりませんが、今だから言えることを言おうと思います。

親や教師が言っていることなんてほとんど正しくないし、自分を責める必要もない。責められてるんだとしたら周りも悪い。

大人になったら自分の思い通りにできるから、今はそのために必要なこと(勉強でもなんでもいい)を誰にも負けないくらい突き詰めてください。

死にたいと考えているなら、死ぬ前に自分の興味のあることをとことん突き詰めていって自分が納得できる成果を得てからまた考えればいい。

誰も自分のことを信じてくれないのだったら、自分が自分のことを正しいと信じるべき。

 

私は今までかなり遠回りしたし、これからも遠回りし続けるのかもしれないけど、自分の居心地の良いところに最終的に落ち着けば良いかなと思っています。

人生はまだまだ長いです。

今自分が納得できない環境に置かれているのだとしたら、自分が納得できるようにあがくという生き方も大いにアリ。その過程で失敗ばかりしてもいいんです。最終的に自分の手元に欲しいものが手に入っていれば手段なんてどうでもいい。

自分が欲しいものは自分で掴みに行くくらいの勢いで、環境も自分も変えられるものだということを強く信じれば必ずそうなる。

私はずっと行きたかったドイツに行って住んだし、前からしたかった英語を使った仕事もできました。

逆にかなわないのだったら、それだけの努力しかしてないということ。常に行動した人・努力した人には結果がついてきます。

私にはまだまだやりたいことがあるので、これからも動き回っていきます。

ではでは。

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