もう、我慢大会は終わりにしませんか?幸せとは何か。
突然ですが、私は日本の下らない美徳が嫌いです。
「苦しい思いを耐えてこそ立派な人間」「辛いことを乗り越えてこそ一人前の人間」
などなど、日本には耐え忍ぶさま=美徳という価値観が存在します。
でも、それって本当にそうでしょうか?
長時間労働で身を粉にしてはたらくことが良いことという価値観や、女性の場合、結婚したら家事・育児も行った上ではたらくことが良しとされています。
朝から晩まで絶え間なく動き続けること=良いことという価値観がまかり通っている。
私はこんな価値観って本当におかしいなと思っています。
余裕のある生活がいいに決まっている
余裕がない生活は確実に精神を蝕んでいきます。
些細なことでキレる人は、精神的に余裕がない人だと私は思っています。
余裕がない人が困っているのは大別すると、時間 または金銭的余裕のなさ、病気、人間関係に問題がある場合です。他にも挙げるときりがないですが、様々な問題の原因となるのはこの4つから派生したものだと私は考えています。
つまりこの4つを(改善できるものなら)改善することで、余裕のある生活が生まれるのではないかと私は信じています。
でも、日本の生活で私が感じたことは、ほとんどの人が身を粉にして働き続けている、しかも嫌々おこなっている、ということに対してかなり鈍感なのではないかと思っています。
私もそうでした。嫌な仕事を我慢して続けているうちに、身体に変な症状が出てきました。
その原因は「周りも頑張っているから、私もこれだけのことで根をあげてないでもっと頑張らなきゃ」という根拠のない思考から派生するストレスであったと思います。
それに、街中でも良く見かけますよね?人が他人にぶつかっても謝らなかったり、電車の中なんかで子供が泣いているのに舌打ちしてイライラしている余裕のなさそうな人たち。
日本にはこういう精神的に貧しい人がかなりの数いると感じます。
そしてそういう余裕のない人たちは、イライラをぶつけることで平気で人にも不快な気分にさせます。
我慢することは美徳でもなんでもなくて、マイナスなことをもたらす原因ともなるのです。
我慢した方がいいことと、そうでないものがある
とは言っても、私は全ての我慢を放棄しろと言っているわけではありません。
我慢をした方がいいことと、そうでないものがあるということを伝えたいです。
例えば、自分が仕事でやりたいことがありますよね。
仕事をしていれば当然自分の意にそぐわないこともたくさん出てきます。でも自分は同じ仕事を続けたい。だから多少の不愉快なことには目をつぶれる。これはしていい我慢だと思います。そういう経験を積むことで、自分の成長の肥やしとなるので、これは必要不可欠と言ってもいいです。
でも、自分がやりたくない仕事で、気が進まないのに自分の意にそぐわないことを嫌々やったり、色んな人から責められ続けるようなことを頻繁に経験すると精神的に追い詰められます。これを日常的に受け続けていると、精神的に余裕がなくなり、まともな思考回路ができなくなり、自分を責め続けて良い方向に考えられなくなる、という負のループにはまることになります。
真面目な人ほどこういった負のループにとらわれがちです。
情報過多な現代に、自分は何を信じるのか?
今はインターネットの普及で、色んな情報や新しい価値観に触れることができます。
自分が強固に信じていたものが実はそうでもなかったり、新しい価値観に触れることで人生が変わったりすることも珍しくありません。
インターネットが普及し始めた1990年代には私は小学校高学年くらいでしたが、「これは絶対にいままでの常識がくつがえる」みたいなことを感じました。
一刻も早く使ってみたかったのですが、親があてがったのはパソコンではなくワープロ(しかも無駄に高い)だったので、その時のガッカリ感は半端なく、同時に「こういうチャンスを逃す人が残念なんだろうな」と思ったのでした。MS Wordの最初のバージョンを使った人ならわかるであろうイルカの余計なアドバイスにワープロを叩き壊したくなる衝動に耐えながら、ひたすらタイピングを練習する日々でした。笑
話が逸れましたが・・・
ネットでは色んな価値観に触れることができる反面、情報過多になりすぎて情報の取捨選択が難しい。
知識として頭に溜め込むことはできますが、不要なものも大量にあります。
だから余計、情報に惑わされることなくそれを自分の中でどう活用するかがキーになると思います。
「みんなそう思っているから」「みんながいいって言っているから」なんて基準でものごとを考えていると、自分というものは埋没していって、思考停止になってしまいます。そうなるとますます、自分の頭でものを考えなくなるし、自分の幸せが何かということもよくわからなくなってしまい、結局幸せから遠ざかるという結果になってしまう。
幸せってなんだろう?
私は日本に住んでいる時、不意にある人から「幸せなことって何?」と訊かれました。
でも、そのとき私は即答できずに、「お酒を飲んでいる時かな」とかなり適当に答えた覚えがあります。
これも幸せの一つではあるのですが、私はお酒を飲むのが至上の幸せとは思っておらず、どちらかというと苦し紛れにひねり出した答え方だったと思っています。これが未だに強烈に自分の中で残っていて、これを皮切りに「幸せってなんだろう?」というテーマについて考えるようになりました。
今私が幸せと思っていることは、好きな人と一緒にご飯やお酒を飲んだりして楽しい時間を過ごすことや、のんびり仕事ができるので幸せだなぁと思っています。
これをどうやって持続させていくのかについて試行錯誤している状態ですが、精神的には日本にいる時よりかなり自由にやっているのでストレスはほぼありません。
現在幸せでないと思っている方やなんとなく満たされた感じがしないという方。
もう一度幸せについて、考えてみてはどうでしょうか?意外と固定観念にがんじがらめにされてて見えにくくなっていますが、人間の幸せって欲求というシンプルなものです。
自分の欲求に正直になること。それがストレスから解放される唯一の方法かなと思っています。
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