足るを知るとは?超消費社会とミニマリズム

Cassini(@cassini0720)です。

私は今年3月末〜6月末と約3ヶ月間日本に一時帰国しましたが、そのときつくづく感じたのが「日本って超消費社会だな」ということ。今回のブログは日本に滞在した3ヶ月のまとめです。

 

 

日本は24時間営業のコンビニ、ファミレス、日曜日も祝日もどこかのお店が営業している。

美味しいもの、カワイイもの、気持ちのいいこと。なんでもお金さえ払えばすぐ手に入る。

 

そういうものを見るたびに「何か違う…」と違和感を抱く。なぜだろう?

 

求めればすぐに手に入る即物的なところが浅薄すぎて面白みがないせいかもしれない。それにまるで人の不安を埋めるために、何か対価を払うことでしか溢れた感情を解消できないような条件つきの消費のように映る。

そうじゃないと生きている実感を得られないんだろうか。

 

目がチカチカするほどの醜いのぼり、スマートとは言い難い宣伝文句たっぷりの看板、広告。

 

なんでも便利になって自分の欲求をスマートに済ませることができる一方で、消費ばかりの社会ってどこか空虚だ。人の楽しみや幸せがモノを獲得すること、対価を払うことで得られるように歪められていないだろうか。どんどん人間らしくなくなっていくような気がする。

 

便利な時代になったにもかかわらず、いまだに人は忙しそうに動き回っているし、楽しそうに生活している人なんてごく一握り。私たちは日々の忙しさをこれまためまぐるしい消費で解消している。

なぜ、そこまで急がないといけないんだろう。私たちはなぜそこまで急き立てられなきゃいけないのだろう。何も考えずにいると、サイクルの早い消費活動の渦に巻き込まれてしまう。

 

 

新商品、ブランド、流行。

 

そういったものを取り入れることで自分が一定の価値観を取り入れたと感じるように、自尊心を金で買っているように映る。自分を素敵に、立派に見せるためには高価なモノを買うことでしか表せない人もいる。大多数と同じ流れに乗ることで安心感を得る。仕方ない、だって考える時間がないから。この不安を取り除くためには、流れに乗るしかない。大多数の一員となるしかない。一定の価値を取り入れればいい。そんな印象を受ける。

 

本質とはなんだろう。

 

今、消費社会に逆行するのがミニマリストだろう。

ミニマリストは持ち物を少なくすることでモノにとらわれない人たちのことを指す。一部にはいかにモノを減らすことが出来たかを一種のステータスにして満足感を得ている人もいるようだけど、そういう人は除いて。

 

ミニマリストはそういう消費社会にうんざりした人の究極系だろう。

自分が欲しいものを把握し、必要以上のモノを持たない。仙人のような生活だ。

 

人一人が生活する上で持つモノなんてそんなにいらない。

私もそんなにモノを持ちたくなくなった。自分の欲しいモノがわかってきたせいかもしれない。

移動ばかりの日々を過ごしていると、人が生活するのにそう多くのモノは必要ないのだなということがよく分かる。現に、私は移動しやすいように今スーツケースひとつで過ごしている。宿泊先は生活に必要なものは揃っている。何も困ることがない。

 

逆にモノに囲まれた生活をしているほど、自分が何を欲しいのか全くわかっていなかった。そして言いようのない不安に駆られた。

 

足るを知るということが、幸せに近づくことかもしれない。

 

 

今日、昼ごはんを作りすぎて無理して食べていました。

「苦しい・・・しんどい・・・。なぜこんな苦しい思いをしてまで食べているんだろう?」というところから自分の欲求について意識して考えたあげく、欲求以上のモノを詰め込むと苦しい→消費社会という考えにまで発展してしまいました。発想飛びすぎ。

 

でも、私は本当に上記のようなことをよく考えます。

それも人生を幸せに過ごしたいというごく自然な欲求から来ています。いらないものを取捨選択して、豊かに生きたい。

私は日本にいるとき、精神的にはどこかリラックスできていませんでした。きっと、何もかもが情報過多だったのだと思います。広告などで目から入る情報が多すぎるし、何にしても選択肢が多すぎる。情報や選択肢が多すぎると、それに惑わされて本質的なものを見落としてしまうことになるのではないかと気付くきっかけになりました。

余裕がない生活だとなおさら自分の生活を振り返ることは難しいでしょう。

 

精神的にも足るを知るには、環境を変えてみることで得られることもあるのかもしれません。

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